まだ知られていない東京教育大学の痕跡を探しに占春園で散策していると、
昔は通ることができた道が封鎖されて通れなくなっている事に気が付きました。
その道は折柳橋からまっすぐ筑波大付属小学校のグラウンドへ向かって進んだ
階段から始まり、階段を下りてグラウンドに沿って道なりに進むと、
教材園の北西側に出ます。つまりは、折柳橋と教材園をつなぐ道になります。
この道は現在のGoogleマップなどには当然ながら記載されていませんが、
1998年の住宅地図には記されています(下記の画像の赤線で挟まれた道)。
また、肝心の道は記載されていないものの、ゼンリンの地図を使用している
Yahoo地図にはスタート地点である階段だけ記載されています。
現在、消えてしまった階段部分はロープ(と針金)で入れないようにされ、
さらに竹?製の壁のようなもので道の存在が気が付きにくくされています。
また、教材園側から道へ入れるところは、雑草と落ち葉で覆われて道で
あったことすら判らないようになっていました(教材園側の道の出入り口を
覚えていないため、もしかしたら下記該当画像の金網の部分かもしれません)。
何故、道が封鎖されてしまい、さらには隠されてしまったのかは不明です。
あくまでも予想ですが、筑波大付属小学校のグラウンドが丸見えであるため
防犯上の理由で封鎖と竹?製の壁が設置されたと考えれます。
他には丘の下のようになっているため落石や土砂くずれのような事が起きた際に
逃げにくい場所なため封鎖されたと考えれます。