百尺山とは何のことなのか知っている人は非常に少ないと思うので、
この地図を見てください。
東京都区分詳細図⑤ 文京区, 1962, 日地面出版
この地図は、1962年(昭和37年)に日地出版から出された"東京都区分詳細図"の
東京教育大学周辺(現在の教育の森公園周辺)をピックアップしたものです。
この地図で大塚窪町の"町"という文字の上に"百尺山"という文字が確認できます。
どうやら、現在の窪町東公園のある辺りに百尺山というものがあったようです。
しかし、生まれてから、この地図と出会うまで、百尺山の存在すら知りませんでした。
百尺山の存在を知った2018年春から、占春園に来た際には百尺山のあった辺りを
見て回りましたが百尺山の特定には至っていません。
現在のスポーツセンター裏から湯立坂下に通じる通りを湯立坂の方から入って
少しすると石垣がある小さな土の山が確認できます。
また、窪町東公園側のほうから、この土の山を見てみると石垣のようなもので
覆われていますが、撮影地点である窪東町公園よりも高い位置にあることが解ります。
小さな土の山が百尺山またはその名残なのかを確認するために
湯立坂下交差点からの距離を比べてみました。
まず、湯立坂下交差点から百尺山までの距離を見てみると約200mでした(画像左側)。
一方でGoogle Mapで湯立坂下交差点から小さな土の山までの距離を測ってみると
こちらも約200mでした(画像右側)。
そのため、小さな土の山が百尺山の名残では無いかと考えています。
百尺山と思われる小さな土の山は百尺(訳30.3m)の高さがありません。
窪町東公園の高さを加えても約30mの高さに達するようには見えません。
小さな土の山には切り株があったり、部分的に石垣のようなもので
覆われているため、恐らく人の手によって削れて今の高さになっていると
考えられます。
ただし、本当に百尺山は100尺ぐらいあったのかですら不明であるため、
結局のところ百尺山に関しては情報不足です。
(地図を見ると気が付きますが)竹早公園にプールがあった時代を知っている
人たちに聞いても知らないということなので、調べ甲斐があると思います。
2021年1月20日 追記
愛知教育大学教科教育センター研究報告にて百尺山の記述を見つけました。
ノートの最初のページに方位や百尺山(学校園としての ゙占春園。内の小丘)の側面図などを書いた印象は残っている(後略)。」
百尺山の位置については、湯立坂に面した窪町東公園の一部という意見があります。
しかし、研究報告に百尺山は占春園内の小丘という記述があるため、
窪町東公園の一部では無く、占春園内ということが確実だと解りました。
けれども、百尺山の正確な位置までにはまだまだ辿り着けてはいません。
ネット(恐らくこれ以上の情報はない)や図書館で東京教育大学に関する幾つかの
書籍を調べてみましたが百尺山に関する情報は見つかりませんでした。
2021年5月25日 追記
あれから、入手した東京教育大学の書籍や古い航空写真を使って
百尺山の位置などについて再度検討してみました。
wagamachibunkyo.hatenablog.com